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瀬戸陶芸協会の歴史

 瀬戸で最初の創作者集団と言えるのが、大正3年(1914)に設立された「瀬戸図案研究会」である。この会は、愛知県立陶器学校(現愛知県立瀬戸窯業高等学校)の図案教師であった日野厚が中心となり出来た研究会である。会では、陶磁器図案展覧会の開催、図案集の発刊など当時としては先進的な活動を行っていた。そして、瀬戸図案研究会の設立を契機として、瀬戸において陶芸家集団が次々と誕生していくことになる。大正13年(1924)には、加藤土師萌等によって「陶均会」が、そして昭和4年(1929)には、瀬戸在住の若手陶芸家の集いとして、長江明治等が中心となって「土の風景社」が設立された。この会は、昭和7年(1932)には藤井達吉の教えを受けて「作陶会」と名を変えている。また、昭和5年(1930)には、加藤華仙が中心となって「春陶会」が結成されている。この「作陶会」と「春陶会」の2つの会が瀬戸の陶芸界をリードしていくことになる。そして、昭和11年(1936)6月20日、顧問に板谷波山・加藤顕清・日野厚を迎え、「作陶会」と「春陶会」のメンバーを中心とした「瀬戸陶芸協会」が設立している。これは、藤井達吉が「芸術は産業の母体である」と当時の瀬戸市長泉崎三郎氏に働きかけた結果であった。瀬戸在住の分野が異なる陶芸家が一致団結して結集したことは画期的であった。協会では、日展を中心とする各種公募展への出品、春の陶芸協会展、研究旅行などの活動を行っており、これらの活動をとおして会員同士が交流するとともに、切磋琢磨していくことで会は発展していった。発足から約80年たった現在でも、春の陶芸協会展、秋の新作展などの活動が行われており、瀬戸の陶芸界を牽引している。

文・瀬戸市美術館館長 服部文孝

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